水深2,800mで水素駆動の新生態系発見
水深2,800mの南西インド洋海嶺で、熱水噴出孔生態系の「常識」を根底から覆す発見があった。ドイツ・マックス・プランク海洋微生物学研究所の研究チームが確認したのは、硫化水素ではなく水素(H₂)をエネルギー源とする微生物群集だ。1977年のガラパゴス諸島沖での発見以来、熱水噴出孔の生命圏は「硫化水素駆動」が絶対の前提とされてきたが、その常識が今、書き換えられつつある。
## 「ハイドロゲノトロフス」——既知のどの系統にも属さない新規生物群
発見された微生物は、熱水に溶け込んだ水素分子(H₂)を酸化してエネルギーを得る化学合成独立栄養生物だ。環境中のDNAを網羅的に解読するメタゲノム解析を実施したところ、既知のどの分類群にも属さない新しい系統であることが判明。研究チームはこの群集に「ハイドロゲノトロフス」という仮称を与えた。
従来の熱水噴出孔では、硫化水素を酸化する化学合成細菌が食物連鎖の底辺を担い、チューブワーム(ハオリムシ)やシロウリガイといった大型生物がその細菌と共生して生きている。今回の群集はこの図式とは無関係に、水素代謝のみを基盤とした独立した食物網を形成していた。同じ熱水環境でも、エネルギーの調達先が根本的に異なる生態系が成立し得ることを、初めて実証した形だ。
## 研究船ゾンネ号とROV「MARUM-QUEST」が切り開いた発見
調査は偶然の産物ではない。ドイツの研究船「ゾンネ号」が南西インド洋海嶺を系統的に探索するなかで、ROV(遠隔操作型無人探査機)「MARUM-QUEST」を水深2,800mに投入。熱水噴出孔周辺の岩石と海水を採取し、船上での一次分析と陸上ラボでの詳細解析を重ねた末に、水素駆動型生態系の全体像が浮かび上がった。
## 約40億年前の原始生命圏を映す鏡
水素による化学合成は、地球が誕生した初期の海洋で生命が最初に利用したとされるエネルギー経路に近い。初期地球の海底では、海水がマントルのかんらん岩と反応する「蛇紋岩化反応」によって大量の水素が生成されていたと推定されている。この発見が示唆するのは、約40億年前の原始生命圏の断片が、現代の深海に静かに息づいているという可能性だ。
## エウロパ・エンケラドゥスへの生命探査に直結
NASAの研究者はこの成果に着目する。木星の衛星エウロパと土星の衛星エンケラドゥスは、厚い氷の下に液体の海を持ち、海底での地質活動によって水素が生成されている可能性が高い。水素駆動型の生態系が地球の深海で実在すると確認された今、太陽光の届かない別天体の海底でも同様の生命圏が成立し得るという仮説は、一段と現実的な重みを持ち始めた。
研究チームは南西インド洋海嶺のさらなる調査を計画しており、「ハイドロゲノトロフス」の正式な分類記載と生態系内の栄養循環の全容解明が次の目標となる。深海の熱水噴出孔は、地球生命の起源と太陽系外縁部の生命探索という、二つの大きな問いを同時に照らしている。
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出典
- マックス・プランク海洋微生物学研究所: 熱水噴出孔の微生物群集に関する研究
- JAMSTEC: 深海熱水活動と化学合成生態系